旧開智学校校舎

国・重要文化財(1961.03.23)
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旧開智学校校舎
(Photo 2003.03)
竣工 1876年(明治9年)
所在地 長野県松本市開智2-4-12
設計 立石清重
施工 立石清重
構造 木造2階建て、塔屋付、桟瓦葺
建築面積 517m²
地図 Googleマップ

開智学校は、 1873年(明治6年)5月に松本藩学(廃藩置県後は筑摩県学)を継承して開校されました。 開智の校名は『学制序文』の「人々…其身ヲ修メキ才芸ヲ長スルハ学二アラサレハ能ハス」から命名されたといわれています。

この校舎は、学事を施政の中心にすえ、 文明開化政策を強力にすすめた当時の筑摩県権令・永山盛輝(ながやま・もりてる)によって計画され、 松本の大工棟梁・立石清重(たていし・せいじゅう)が設計施工しました。 工事費は約1万1千円におよぶ巨額なもので、 そのおよそ7割を松本町全住民の寄附によって調達しました。 立石清重は設計にあたって、上京し、東京や横浜の建物を見学してまわりました。

この建物は、文明開化を象徴する擬洋風建築の代表作で、 唐破風の下にエンゼルが舞い、瑞雲の彫刻を施したバルコニーの下には竜の彫刻を配し、 屋根の上には八角形の塔屋が設けられています。 また、輸入した高価なガラスや色ガラスが使用されており「ギヤマン校舎」と呼ばれていました。

1876年(明治9年)に松本市内の中心部を流れる女鳥羽川のほとりに建てられ、 1963年(昭和38年)3月まで約90年間使用されました。 その後、1964年(昭和39年)に現在地に移築復元されました。

・関連サイト
松本市:重要文化財旧開智学校
・見学案内
詳しい案内は上記サイトに掲載されています。